Books/書評

レヴィ=ストロース 悲しき熱帯

颐光 2017. 5. 1. 13:11


中央公論社 1977・2001
ISBN:4121600045


Claude L vi-Strauss
Tristes Tropiques 1955
[訳]川田順造

冒頭に「私は旅や冒険が嫌いだ」「それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」と書いてある。長い長い記述の最後には「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という人類学者らしくないとも人類学者らしいともいえる言葉が出てくる。そのうえで、「ともあれ、私は存在する」と書いてある。

 実に奇ッ怪な書物である。
 本書が文化人類学の古典的な名著だということくらいで本書の書名を知っている者には、頭がクラクラするにちがいない。「ともあれ、私は存在する」と書く1ページ前には、平然と「私は人類全体の矛盾である」とも書いている。

 こんな人類学者はいなかった。まったくいなかった。
 人類学的な調査旅行を学術的ではなく旅行記のように書いた研究者ならごまんといるし、その旅行記に自在に学術的な思索をはめこんだものも、たくさんあった。むろん単なる学術的報告ならキリがない。けれども、その調査研究記録の随所に、人類と人間に関する本質的な思索と自身の根源的な省察を同時に、かつ暗喩に富んで表現できた学者など、まったくいなかった。


レヴィ=ストロースが1930年代のブラジルを旅行し、滞在した記録を本書にまとめたことはまちがいがない。
 ところが、読み出せばすぐにわかることだが、本書はレヴィ=ストロースが最初にどんな調査目的をもってパリを発ち、どのような旅程のすえにブラジルに着き、それから逐次どのように「悲しき熱帯」を調査したか、そのつど何を感じたかというふうには、書いてはいない。
 まるで車窓に走る風景を見ながらついつい物思いに耽るように、回顧談や回想や反省がのべつまくなく入ってくる。たとえば、ユダヤ人として自分が第二次世界大戦をのがれてアメリカに行ったときの話が入る。コルネイユの『シンナ』を借りて急に自分の自画像のスケッチを試みる。インド旅行のときの話ではバングラデシュの現在に対する見方が述べられる。むろんブラジル奥地のインディオの生き方の報告が続くこともある。


これらが時間をこえ、空間をこえ、しかも軽妙で沈着な思索の中で進行する。加えて、隠喩と換喩がおびただしい。
 とにもかくにも言葉が生きている。連想に富んでいる。目眩くというのでなく、精緻な視点で野生のワールドモデルが自在に問われつづけているという印象なのだ。
 ようするに、ブラジルのカデュヴェオ族やボロロ族の日々を見ているのは、少年に戻ったレヴィ=ストロースだったり、ドビュッシーを聞いているレヴィ=ストロースだったり、若い頃にアメリカに脱出したころの苦渋のレヴィ=ストロースだったりするわけなのである。それでいて、どこか悲しいものがある。
 こんな学問があるというのだろうか。
 あったのだ。そのような方法をレヴィ=ストロースがつくったのである。構造人類学の原型は、すべてこの『悲しき熱帯』の文章に発酵していたといってよい。



本書を最初に読んだのは、ぼくが早稲田でフランス語を習っていたときの担当教官の室淳介さんが訳した講談社版の、その名も『悲しき南回帰線』という一冊だった。
 全訳ではなかったが、そのときの包まれるような読後感、いや、あの未知の至福にも似た読中感というものがある。それを伝えたい。けれども、それが難しい。ぼく自身がその読中感をすぐに再生してみせる方法を、ここでおもいつけないからだ。



学術が文学なのである。きっとそういうことだろうとおもう。その逆に、文学が学術でありえた稀有の例だということでもあろう。しかしながらそう書くと、たとえばヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』やヨハン・ホイジンガの『中世の秋とどうちがうのか、そこを言わなくてはならなくなる。あるいは柳田国男が佐々木喜善から聞いたことを『遠野物語』にしそれを理解できたのが泉鏡花くらいのものだったというようなこととの比較を、うだうだ書かなければならなくなる。
 そんなことを説明していたらレヴィ=ストロースではなくなってくる。そういうものではない。『悲しき熱帯』はどんな学業によっても、どんな報告記録によっても、けっして代行がきかない一冊なのだ。変な言い方になるが、構造主義の全体と『悲しき熱帯』のどちらを取るかといわれれば、ぼくは後者の一冊を選びたい。唯一無比とはいわないが、そのくらいかけがえのない一冊なのである。



室淳介訳ののち、「世界の名著」にマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』とともに『悲しき熱帯』が入ることになった。川田順造の訳で、泉靖一が解説を書いた。ただし抄訳である。
 その後、1977年になって同じ川田による全訳が登場した。久々にあらためて読んでみた。同じ読中感だった。
 レヴィ=ストロースが本書で強調していることを一言でいえば、西洋の知で世界を見るなということである。が、読んでいるときはそんな安易な一言にならない苦渋と透徹の両方が、超越と均衡の両方が伝わってくる。
 そこには、レヴィ=ストロース自身がのちに何度も強調した「サンシーブル」(可感的なもの)と「アンテリジーブル」(可知的なもの)との境目をなくし、その合間に新たな均衡をもちこむという風変わりな見方が含まれている。ジャン・ルヴェルは当時、それを「特殊的でしかも普遍的な考え方の実験だ」と批評したものだったが、ぼくの言葉でいえば抱いて普遍、離して普遍」の実験ということである。



 レヴィ=ストロースが神話世界を通して発見した方法は「ブリコラージュ」といわれている。
 ブリコラージュはもともとは「修繕」とか「寄せ集め」とか「細工もの」といった意味であるが、フランスではそのブリコラージュをする職人のことをブリコルールといって、あらかじめ全体の設計図がないのに(あるいは仮にあったとしても)、その計画が変容していったとき、きっと何かの役に立つとおもって集めておいた断片を、その計画の変容のときどきの目的に応じて組みこんでいける職人のことをさしている。
 そのためブリコラージュにおいては、貯めていた断片だけをその場に並べてみても、相互に異様な異質性を発揮する。ところが、ところがだ、それが「構造」ができあがっていくうちに、しだいに嵌め絵のように収まっていく。本来、神話というものはそういうものではないか、構造が生まれるとはそういうことではないか、そこにはブリコラージュという方法が生きているのではないかと、レヴィ=ストロースは見たわけである。



これはぼくの言葉でいえば「編集」だ。編集というのも、だいたいこんなことをしている。
 つねに「全体」と「部分」の関係を有機的に動かしていて、どこかで決着をつけていく。その決着のときに、あとから入ってきた部分がするする育って「超部分」となり、それが「全体」の様相をがらりと変えてしまうこともある。
 レヴィ=ストロースはこのブリコラージュという方法に、もうひとつ新たなしくみがあることを発見する。それは、雑多に集めておいた材料や道具の「断片」や「部分」たちが、一応は想定していた「全体」とのあいだであれこれ"対話"を交わすのではないかと見たことだ。その対話では、その民族や部族に特有な理性的なものと感性的なものは切り離されずに、「断片と全体が対話した内容」のすべてが検討される。
 そこを『野生の思考』では、「構造体をつくるのに他の構造体を用いない」と説明をした。



そうなのである。
 レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で自分の実感をつかって試みたこととは、このブリコラージュであり、材料と計画の対話に聞き耳をたてることであり、それらすべてのプロセスにまつわる編集的叙述を実験してみることだったのだ。
 これを、「問いなき答え」と「答えなき問い」を互いに出しあう相互関係の進展にこそ「構造」が生まれていく秘密がある、というふうにいってもいいかとおもう。
 このときレヴィ=ストロースは、さらにもうひとつの方法を獲得した。それは「ブリコラージュによってつくられた神話や説話はブリコラージュによって解体できる」という方法だった。実際にもレヴィ=ストロースはその方法をもって(そのほかモースの交換論やソシュールやヤコブセンの言語論もつかったが)、構造人類学を確立していった。これはようするに神話や説話や儀式がもっている筋書きにとらわれないということだ。表向きの意味にとらわれないための方法なのである。
 こうして、たとえばブラジルのボロロ族の金属インコとその巣の話が、ジャトバの木と首長の妻殺しの話が基礎情報として部品化していって、レヴィ=ストロースがその後の数十年にわたって展開した構造人類学のために用意した編集エンジンの駆動を待って、超部分化をおこすことになったのだった。



このようなレヴィ=ストロースの"異様な学問"は、必ずしもずっと安泰であったわけではない。
 むしろ、そうとうに多くの批判にさらされてきた。インセスト・タブー(近親相姦の禁止)を論じた『親族の基本構造』は穴だらけの議論だと批判され、『構造人類学』については神話のメッセージについての議論がなさすぎると批判された。
 ごくかんたんにいえば、構造主義は図式と機能ばかりを強調する機能主義なのではないかという批判であった。もともとレヴィ=ストロースの名が世に轟いたのは、サルトルとの論争が派手だったせいもある。「それ以前の思考」をこそ探索したいレヴィ=ストロースと、「それ以降の思考」をこそ確立したいサルトルが激突したのは当然だった。むろんレヴィ=ストロースはこのような批判を丹念に撃破していったのだが、いまなおレヴィ=ストロースの学問が学問であったかという疑問がわだかまっている。
 ぼくはこうした構造主義をめぐる論争にほとんど関心がなかったので、ろくに批判論も擁護論も読んでいないのだが、どうもこうした議論自体が不毛なのではないかとおもっている。
 それに、おそらくは『悲しき熱帯』だけは、誰も批判をしなかったのではなかったか。本書の中にレヴィ=ストロースが全部見えているというのに、議論は学問的な有効性のなすりあいにばかり進んでしまったのだ。



メキシコの詩人オクタビオ・パスに『クロード・レヴィ=ストロース』という本がある。



パスはこのなかで「レヴィ=ストロースを人類学の新しい流れのなかに位置づけようとはおもわない」と宣言をした。そして、その文章にはベルグソンとプルーストブルトンという異質な3人が棲んでいると言った。また、『悲しき熱帯』については、レヴィ=ストロースが関心をもっているのは「同一性」ではなく「類縁性」なのだという重要な指摘をした。
 大賛成である。
 学問とは同一性や反復性を確認したがるものである。それが対象領域と拘束条件の設定が大好きな科学や社会科学の立脚点というものだ。けれども、類縁性はそうした個別の立脚点をやすやすと越えていく。跨いでいく。それは「答えのない問い」によるオイデュプスの神話そのものなのである。「なんだか似ている」ということ、「なんとなくつながっている」ということ、そのことを考えるのがレヴィ=ストロースの学問であり、つまりは『悲しき熱帯』だったのだ。
 第16章「市場」にこんなにことが書いてある。最近になってこの文章がぼくを襲ってきて、どうにも困る。ぼくはいつまでも『悲しき熱帯』の読中感の中にいる囚人であるようだ。


アジアで私を怖れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。
 インディオのアメリカでは、私は、人間という種がその世界にたいしてまだ節度を保っていた。(中略)けれども、そのインディオのアメリカにおいてすら、私ははかない残照を慈しむものである。


参考¶レヴィ=ストロースの本や講演集はずいぶん訳出されている。主には『親族の基本構造』(青弓社)、『人種と歴史』『構造人類学』『今日のトーテミズム』『野生の思考』『はるかなる視線』『やきもち焼きの土器づくり』『構造・神話・労働』(以上みすず書房)、『仮面の道』『アスディワル武勲詩』(青土社)というところ。オクタビオ・パス『クロード・レヴィ=ストロース』は法政大学出版局。