Books/書評

パトリック・ブラントリンガー パンとサーカス

颐光 2017. 5. 3. 22:15



勁草書房 1986
ISBN:4326600454

Patrick Brantlinger
Bread & Circuses 1983
[訳]小池和子

 抗しがたい進歩の願いをこそ、抗しがたい退行の呪いと見なければならない。時代を大胆に前に進めるのは賢しらな「正の理念」ではなく、一見しては寂寞を装う「負のCPU」なのである。
 このところ、ぼくが「負」から見る歴史観や文化論を断片的に披露しはじめたことについて、各方面からちょっとした共感の声が上がっていて、それはそれでたいへん嬉しいのだが、その一方で、なぜ「負の領域」をわざわざ設定するのか、とくにそのことが松岡が言うほどに文化の歴史や将来にとって重要である意味がもうひとつよくわからないという声もある。
 そこで今宵はまったく別の角度から、歴史文化において「負の領域」や「負の見方」というものがどのようにありうるかということを、ごく少々ながら説明しておくことにする。
 そのために対抗文化的に選んだのが本書である。

 著者はぼくより少し上のハーバード大学出身の文学研究者で、インディアナ大学で英文学を教えたあと、「ヴィクトリアン・スタディーズ」という研究誌を編集しつづけている。
 本書『パンとサーカス』は「負の古典主義」というキーワードによって欧米の知の系譜を浮き彫りにしようとしたもので、かなり話題になった。ただし、ブラントリンガーの狙いは「負の古典主義」という見方によってマスカルチャーの衰退した本質に迫ろうというもので、厖大な「歴史追随からの離反者の感覚と思想」を適確に案内しているわりには、この狙いはうまく成就はしなかった。それどころか、せっかくの「負の古典主義」という見方が研ぎ澄まされなかった。
これは「負の古典主義」を単純な歴史のネガフィルムとだけ見たためであって、その裏側にあるやもしれぬ「負の積極性」という見方を深めなかったためだった。
 そういう恨みはのこるのではあるけれど、本書に盛られた知の系譜はそれなりに豊富なものだし、また読み方を鋭くすれば、本書からも「負の見方」の本質的な有効性についてのいろいろの視点が引き出せる。
 標題の『パンとサーカス』はユヴェナリウスが古代ローマを表現するときの詩篇に使った言葉で、アーノルド・トインビーが「いまやアメリカは古代ローマ帝国が代表しているものを代表している」と言ったことをうけて、マス・カルチャーの象徴に見立てたもの。古代ローマ帝国が熱狂したパンとサーカスがまったく帝国をつくれなかったように、ブラントリンガーはアメリカのマス・カルチャーは終末的なパンとサーカスを性懲りもなく再生しつづけているだけと見た。

本書で「負の古典主義」を標榜し、それを説いたり広めたり象徴化したとみなされたのは、古代では『サチュリコン』のペトロニウスや『スペクタクルについて』のテルトゥリアヌスなど、近代では『モーパン嬢』のテオフィル・ゴーティエ、あいかわらずこういう場面では人気のある『チャイルド・ハロルドの巡礼』のロード・バイロン、『ジェルミナール』のエミール・ゾラ、世紀末からは多くの例が提出されているが、『さかしま』のユイスマンス、『狼者たちの家』のウィリアム・モリス、『サロメ』のオスカー・ワイルド、『荒地』のT・S・エリオットなど、現代では『反抗的人間』のアルベール・カミュ(これは半分だけ)、『そこにあるもの』のイエルジ・コジンスキーたちである。
 また、歴史に「負の古典主義」があることを見抜いてこれを論じたとみなされたのは、『近代絵画論』のジョン・ラスキン、『あれか、これか』のキルケゴール、『悲劇の誕生』のニーチェ、『幻想の未来』のフロイト、『西欧の没落』のオズワルド・シュペングラー、『大衆の反逆』のオルテガ・イ・ガセット、『理性の腐食』のマックス・ホルクハイマー、『否定弁証法』のテオドール・アドルノ、そして『パッサージュ論』のウォルター・ベンヤミン、『エントロピー法則』のジェレミー・リフキン、『メディアの理解』のマクルーハン、『神話作用』のロラン・バルト、『批評の解剖』のノースロップ・フライなどである。


この顔触れの選び方にはとくに著者の独創が生きているわけではないが、そこに共通する特徴は、いずれも一通りの歴史の進化幻想に鉄槌を下ろしたということにある。
 では、かれらはどこからその鉄槌を下ろしたのか。かれらはどこにいたのかというと、その立っているところが、「負の領域」だったのである。そのかれらのことを、著者は「負の古典主義者」というふうに呼んだ。
 しかし、本書を読んでいると、この視点が深まっていかない。一人一人の感覚と思想にかかわりすぎていて、そこは“評論”になっている。文学研究者がよく入りこむ陥穽で、これではせっかくの設定が躍動しない。そこでぼくが著者の視点の裏側から主題をかいつまむことにする。

 これらの顔触れがもたらす意味の最も重要なものは「最良の稀少性」ということである。
 たとえばジョン・ラスキンは産業社会がまさに華麗に登場している只中で、芸術のもつ稀少価値を説いた。オスカー・ワイルドは当時はまったく肯定的な見方をされなかったホモセクシャルな感覚を作品にも自分の生活表明にも表した。アドルノやホルクハイマーは誰もが信じて疑わなかった「理性」に疑問を呈し、理性の形骸だけを偽装するメディアの文法を警戒すべきだと説いた。
 このような表明は「最良の稀少性」とは何かということなのである。いまふりかえれば、ラスキンの芸術価値もワイルドのゲイ感覚もアドルノの理性批判も、すでに“常識”になっている。けれども当時は、そのような見解を表明することそのものが「負の価値」のきわどい提案だった。


そもそもわれわれがおおかたの歴史で体験してきた「力」には、象徴的には3つの力があった。ひとつは、神話の力、ひとつは、家の力、ひとつは、権力者の力である。
 ところが近代が爛熟し、20世紀になってみると、まったく別の力が社会を支配しはじめていた。第1にはテクノロジーと生産力の圧倒的な力。第2に、急速に魔王のような姿をあらわしたマスメディアとマスカルチャーの力。そして第3に、その正体すら見当のつかない「大衆心理」という力が加わった。
 この20世紀を支配する3つの力には、とんでもなく強力な共通性がある。それは「稀少性の否定」ということだ。仮に世の中に稀少な魅力のあった者があったとしても、マスメディアやマスカルチャーがこれを放っておかない。すぐさま太陽の当たるところに引き出し、これをまったく一通りの評価額だけで誉めそやし、それが損なわれたとたん、吸殻のようにポイ捨てをする。
 それでも「いったんは脚光を浴びる」ということが人々の願望になってしまったので、誰もが稀少価値のままでいることなど大事にしなくなってしまった。「それは売れているの?」「そいつは有名な人なの?」、これで終わりだ。  この現代の3つの力は、国力と産業界と流行という3つの魔法によって守られている。
 第1のテクノロジーや生産力は国力にとっても産業界にとっても金科玉条である。第2のマスメディアとマスカルチャーは国力と産業界と流行をおこすための情報コミュニケーションの前提を担っているとみなされる。第3の大衆心理は、これが応援につかないかぎりは選挙もサッカーもCDもない。不幸なことではあるけれど、この3つの力に対抗できるものはない。


こうして、国家とマスメディアと大衆の仕事は「ステレオタイプとポピュラーアイドルをつくること」という路線が確立してしまった。つまりはローマ帝国やナチスやFIFAと同じことを、現代の「国家とマスメディアと大衆」はそれぞれ自分の仕事としてしまったのである。
 こうなると、稀少性は廃絶の対象になるか哀れみの対象になる。売れないタレントはテレビから排除され、売れない商品は商店から追放される。それで自由資本主義が守られるのだから、それでいいじゃないかという企業や商人や消費者の立場もある。しかし、これでは価値観など、何も生まれない。いや新しい価値観が生まれないだけではなく、古い価値観は蘇えらない。
 すべては「正」に向かってのみ陣容を整えるだけなのである。仮に「負」が採り上げられることがあったとしても、それはたいていは「正」から「負」に転落したものを世の中に晒すためである。  マスメディアがポピュラーアイドルをつくっていることは誰もが知っているが、同時にこの社会が価値に関するステレオタイプだけを次々に量産していることは気がつきにくい。
 ステレオタイプばかりがつくられると、いったい何がまずいのかといえば、その奥にあるはずのプロトタイプが見えなくなり、さらにその奥にあるアーキタイプにまったく目が届かなくなる。


たとえばの話、いま「ブティック」や「携帯電話」は社会のステレオタイプになっている。どこにも同じものがある。それはそれでかまわないのだが、ステレオタイプとしてのブティックや携帯電話の記号力だけが社会を覆ってばかりいると、その奥にある「店とは何か」「電話とは何か」というプロトタイプを問う者はまったくいなくなる。その歴史も忘れ去られる。
 そこへもってきて大衆心理が世の中のすべての決定権をもつということになると、われわれの歴史文化にひそんできたアーキタイプが何かということは、大衆心理が選んだポップシンボルにしか求められないということになる。
 これこそが古代ローマ帝国とナチスとFIFAが陥った危険きわまりない「パンとサーカス」現象なのだが、それが危険であるとは誰もおもわない。たとえばつい最前のこと、小泉純一郎や田中真紀子に大衆心理が圧倒的な支持を与えたことは、日本人があのときにどんな政治的プロトタイプを希求していたかという議論には決してならず、またその二人の人気がすぐに衰えたことについても、日本人のどんな社会文化上のアーキタイプが動いたかということにも、まったくならない。
 ただひたすら「そういうこと」が興り、「そういうこと」が廃れただけなのだ。

かつてヘルベルト・マルクーゼはこうした現象を危惧して、今後の社会が「一次元的人間」によって埋まっていくことを予測した。「一次元的人間」とは、マスカルチャーや大衆心理に迎合する人間のことである。
 すでに第199夜で示したように、オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』において、こうした危惧を1930年代の大衆の登場のなかに見抜いていた。大衆は罪の意識なく、社会の善意と悪徳のシンボルを誰かに押しつけ、その判定者になっていく。こうなると、すべての信念が「思いこみ」となり、すべての観念が単なる「思いつき」となっていくだろうことを予告した。また、ロラン・バルトが『神話作用』に書いたことは、こうした危惧を覆い隠す現代の記号商品を新たな神話作用とみなせるかどうかという検討だった。
 そして、すべてがそうなってしまったのである。危惧は当たったのだ。
 理由ははっきりしている。「稀少性を稀少性として表示できる装置」が社会から姿を消してしまったからだ。わかりやすくいえば、変な文学もシスターボーイもヤクザも不良もなくなったのだ。どんなことも珍しいことではなくなったのだ。
 しかし、これまでの歴史文化を見れば、いくらでもこうした「稀少性を稀少性として表示できる装置」は作動していた。
 たとえば遊郭、たとえばユイスマンスのデ・ゼッサント、たとえばゴッホ、たとえば「かぶきもの」、たとえばウィリアム・ターナーの絵画、たとえばモリスの「レッサー・アーツ」、たとえばアナーキズム、たとえばブルーストッキングの女性たち。

 こうしたものはしばらく歴史を動かした。そして、次の時代の文化に採りこまれていった。「負の古典主義」とはそのことだ。しかし、採りこまれていったからといって、その記憶は確実に人々の驚異として、人々の価値観の稀少性として、語られ、思い出され、描かれていったのである。だからこそ、それらは単なる「負」ではなく、「負の古典」となりえた。  そこで、問題はこのような「負の装置」はもはやつくれないのかということである。
 そんなことはない。むしろいまこそ「負の装置」が敢然と現代史の最前線に登場すべきときなのである。それには、3つの力に背いて、新たな「技」と「メディア」と「少数者」を信用しなければならない。
 ぼくが『ルナティックス』『外は、良寛。』『フラジャイル』で始めたことは、今日においても「負の価値観」というものが燦然と光りうる根拠をいくつか示すことだった。ついで『日本流』や『日本数寄』では、そのような価値観は「負の美意識」として日本の歴史文化のなかにいくらでも脈動していたことを示した。
 しかし、そのようなぼくを応援して、ぼくのことをマスメディアや大衆の心理に示そうとすると、いかにその仕事が難しいかを知って、挫折する者も少なくなかった。


実は本書の著者も、おそらくはそのような挫折した応援者なのである。それゆえ鮮烈な「負」の系譜をせっかく掘りおこしながら、それらを一括りに「負の古典主義」という枠組にして飾るしかなくなった。
 これはいけない。これは腰砕けである。稀少性は稀少性のままに、そのまま歴史的現在の中に光らせる方法を発見しなければならないはずである。