Books/Movies

戦争と一人の女

颐光 2017. 5. 22. 03:49

戦争と一人の女에 대한 이미지 검색결과


坂口安吾の小説「戦争と一人の女」「続戦争と一人の女」を映画化した官能文芸ドラマ。太平洋戦争末期から終戦後の東京を舞台に、時代に翻弄された男女の交錯する運命を描く。時代に絶望した作家の野村は、飲み屋を営む元娼婦の女と刹那的な同棲を始め、貪るように体を重ねる。一方、中国戦線で片腕を失い帰還した大平は、戦場での精神的後遺症から妻との性交渉ができなくなっていた。しかしある日、数人の男たちに襲われている女を見て、自分が興奮していることに気がつき……。元文部科学省官僚で映画評論家の寺脇研氏が企画プロデュース。若松孝二監督の下で映画作りを学んだ脚本家の井上淳一が初メガホンをとった。


戦争と一人の女에 대한 이미지 검색결과

戦争と一人の女에 대한 이미지 검색결과


戦争と一人の女에 대한 이미지 검색결과戦争と一人の女에 대한 이미지 검색결과

丁寧に演出された、レベルの高い自主映画というイメージの作品。霞のかかったような映像で、戦時中から戦後すぐまでのもやに包まれたような物語を描き出していく。

原作が坂口安吾なので、どこか退廃的なムードがないわけではないが、監督が目指そうとしたメッセージ、脚本家が描きたかった物語はしっかりと映像になっていたと思う。しかし、今更日本人がここまで卑下するかというのも寂しい気がする作品だった。

一人の帰還兵が出てくるところから映画が始まる。出迎えたのは妻と一人息子、この男は右腕を失っている。帰ったものの、妻との情事には体が反応しない。そんな夫にもどかしさを感じる。ある日、町で強姦される女を見て欲情したこの男は、妻と子供を実家に疎開させ、町で女をだましては山中で襲うことを思いつく。

この作品にはもう一人の人間が登場する。父親に女衒に売られた一人の女。妾だったがその男から見放され、ある日、店の客で作家をしている男と夫婦になる。それも戦時中だけという約束で。女はふつう情事ではすでに感じなくなっている。

この二つの物語が交互に描かれるが、どちらも今一つの描き足りなさが目立つ。腕のない兵隊エピソードも、繰り返される強姦シーンに何の変化もなく、いったい、同じ女なのかとさえ思える。繰り返さざるを得ないトラウマのような帰還兵の心の病を描きたかったのだとは思うが、迫ってこないのがちょっと物足りない。

作家と女にしても、その暑苦しいほどの情事の繰り返しが、妙に淡泊に見える。女が焼夷弾燃える隣家に向かって「もっと燃えろ」と叫ぶ下りも、蒸し返すような異常な暑苦しさが見えない。

映像は確かに煙ったようなムードだが、演出が淡泊なのだろうか。戦時中悲壮感が描き切れていないのだろうか。監督は「アジアの純真」などの脚本を書いた井上淳一で、今回が初監督である。つまり、文字を書くにはそれなりの才能があるが、映像センスに弱さがあるのかもしれない。

敗戦の後、女は作家の元を離れてパンパンになるが、ここの描写も緊迫感がない。このあたりでは腕のない男の描写が放ったらかしで、いきなり、米を買い出しにいった女と出会い、例によって強姦しようとするが、かつての客だと言い当てられ、逃げていく。

作家はポン中で、最後に女が銀シャリを食べさせようとするため米を買いに行き、戻ってみたら、死んでいた。このが終盤の悲壮感のシーンのはずが、非常に淡泊な映像演出だ。鬼気迫る体制で臨んだ永瀬正敏のすさんだ姿も映像の中では生きていないのも本当に残念です。

そして、腕のない帰還兵は警察に捕まり、尋問され、日本は負けたから誰もが犯罪者になっているかの受け答えの後、暗転、エンディング

戦争の悲壮感を、本国でいきる女、戦争で精神的に肩輪になった男を描くことでもうひとつの戦争の悲劇を語ろうとした意図はわからなくもないが、それならば、二人の男の存在感の意味は何かと思えなくもない。帰還兵と作家を描き、彼らにカラム女とのドラマに、戦争の悲惨さを見せようとしたところが無きにしも非ずだが、作家の描写の方が優れているために、双方ともどっちつかずになった感もある。

手持ちカメラを多用した、安定しない画面で始まる導入部から、右に左に人物を捉えるだけのカメラワークの意図も見えづらい。凡作ではないものの、ハイレベルの自主映画的なのが鼻につく作品でした。


'Books > Movies' 카테고리의 다른 글

Edelweisspiraten   (0) 2017.05.23
Entrusted  (0) 2017.05.23
我的战争  (0) 2017.05.22
Warsaw 44  (0) 2017.05.22
the fear  (0) 2017.05.22